第二章 はじまり
| こんなに会社に行くのがわくわくするのって、いつ以来だろう。 少なくとも課長になってからは初めてだな。いや、入社式の時でもこんな にわくわくしたことはなかったよな。とにかく一刻も早く会社に行ってやっ てみたいことがあるんだ。 電車に揺られながら、今日起こるであろう出来事を想像すると、胸の高ま りがどんどん高くなってくるのがわかる。 月曜日、いつもなら週末の楽しさとくつろぎにお別れを言って、戦場に向 かう気分で電車に揺られる。戦場とはいっても緊張感もなく、惰性だけで過 ごしながら敵の砲弾(上司の小言)を交わして前に進むというところではあ るのだが。 それが今日は全く違う。先週までの自分はどこに行ったんだ、というくら い気分が変わっているのだ。 駅についてから会社へ向かう足取りが異常に軽く、下手をするとスキップ でもしそうな勢いである。 会社に到着し意気揚々と営業フロアに到着すると、いつも私より少し早く 出社する若手社員の藤井くんの姿が見えた。 「おはよう!」 「おはようございまーす。課長、なんか月曜の朝から元気いいっすね。」 「おっ、やっぱりそう見えるかい。今日は朝から気分がいいんだ。」 「へぇ〜、なんかあったんすか。普段の月曜なら定例会議があるんで、いつ もぐちぐち言いながら準備してたじゃないっすか。」 「ふふっ、今日は秘密兵器があるんだ。」 「なんですか、それ?」 「ま、定例会議の時のお楽しみだよ。それより藤井くん、週末はなんかいい ことあったかい?」 藤井くんはいつもの様子と違う私に驚いているのか、妙な顔つきでティー サーバーからお茶を持ってきてくれた。 事実、自分でもわかるくらいにこやかな表情をしている。とにかくほほえ まずにはいられない心境である。 我が社はフレックス制なので10時までに出社すればいいのだが、藤井く んはいつも8時半前、私は少し遅れてくることが多く、仕事開始を9時にし ている。そのため藤井くんとは朝二人っきりになることが多い。いつもの月 曜ならば、私は定例会議の準備に追われ朝の挨拶だけですぐに仕事に取りか かっていた。 しかし今日は、藤井くんにいつもと違うアプローチを試してみた。これも 実はコーチングのおかげなのだ。 9時前になると徐々に人も集まってきた。電話応対も少しずつ始まり、フ ロア内がにわかに騒がしくなる。とはいっても、仕事に対して「活気あふれ る状態」とまではいかないのが現実だ。 いつもならこの状態を見て、「どうやったら活気づくのか・・・」と考え もするのだが、今日はちょっと違う。 「よぉ〜し、この状態も今日までだ。どう変わっていくのか、楽しみだね」 と心の中でつぶやいている自分に酔いしれている。 月曜10時からの定例会議。社内の各部署が一同に集まり、先週の出来事 や問題点などを報告しあう。 基本的に部長クラスの出席なのだが、営業部はなぜか三宅部長と営業一課 の私、二課の菊池課長がそろって出席するのがおきまりになっている。特に 例のプロジェクトを推進する動きになってからは、他も各課の課長が出席す ることが多くなった。 今日の定例会議ではそのプロジェクトについて、各部署からの意見を出し 合い、営業部でとりまとめをすることになっている。 先週末までの私ならこんな面倒な仕事は引き受けたくなかったのだが、今 の私はむしろ喜んでこのプロジェクトを推進する気持ちになっている。 ただし、ちょっとした条件付きなのだが・・・。 いよいよ定例会議の時間。会議室に社内の主立った部・課長と役員がそろ う。いつものように各部署から一通りの報告が終わった後、いよいよプロジ ェクトの中身に入る。 進行役の総務部長が話題を切り替えようとしたそのとき、私は手を挙げて こう発言した。 「すいません!プロジェクトの中身に入る前にまとめ役の営業サイドとして 提案があるのですが。」 突然の発言に一同の目が私に向けられた。その中には営業の三宅部長や二 課の菊池課長も含まれていた。そのまなざしは明らかに「驚き」を表してい た。 驚きの表情をした三宅部長が小さな声でささやいた。 「有川くん、突然何を・・・聞いていないよ、そんなことは。」 その声を無視したように私は続けた。 「谷口部長、どうでしょうか?」 進行役の谷口総務部長もあっけにとられた顔をしていたが、やっと我を取 り戻してきたようだ。 「あ、あぁ。そうだな。まずはその提案とやらを聞いてみようか。皆さんは それでいいですかね?」 出席者一同は谷口総務部長の言葉に軽くうなづき、それを確認すると目で 私に「どうぞ」と合図を送った。 よし、ここからがスタートだ。 自分自信を、そしてここにいる人たちがこの会社をなんとかしようという 気持ちがあることを信じて、私はゆっくりと話しを始めた。 ★ 私が突然このような発言をすることができたのには理由がある。そう、今 朝から始まった羽賀コーチのコーチングのおかげなのだ。 先週の土曜日に羽賀コーチと初めて会い、そして今朝の7時に初めてのコ ーチングを受けていた。 「おはようございます。有川です。」 「おはようございます!コーチの羽賀です。一週間の始まり、どんな気分で すか?」 羽賀コーチのいきなりの質問に少しとまどったが、今の素直な気分を伝えて みた。 「いやぁ、羽賀さんのコーチングを楽しみにしていたんですけど、月曜って どうしても気が重いんですよね。この間も話しましたけれど定例会議っての があって、最近は例のプロジェクトの話題ばかり。しかも今週からその具体 的な内容に入るでしょ。なぜか営業部がまとめ役なので、どうしても気が滅 入っちゃって。」 「なるほど。では有川さんはどんな一週間の始まりにしたいのですか?」 「そりゃ、気分はつらつ、スカッといければいいですよね。」 「へぇ、スカッとですか。いいですね。じゃあ、スカッとするためには何が 必要なんでしょうね?」 「そうですね・・・今だったらこの定例会議がなくなれば少しは気が軽くな るかも。」 「それだけですか?」 「それだけ・・・いや、気が重いのがちょっと軽くなるだけで、スカッとま ではいかないですね。」 「じゃあ、スカッとするときって何をしようとしているときですかね。」 「そうですね、何かたくらんでいるときなんかがそれに当たりますかね。そ うそう、私が子どもの頃なんかはね・・・」 気がつくと、子どもの頃ガキ大将の参謀役としていろんなたくらみを計画 しては成功させた自慢話をしていた。いつ以来だろう、こんな話しを人にす るのは。 このころには月曜の朝の重さなど、意識のかけらもなくなっていた。 「へぇ〜、今の話しを聞いて、有川さんってなかなか頭脳派なんだなって思 っちゃいましたよ。」 「いやいや、頭脳派ってほどじゃないですけど、密かに何かを計画して実行 に移すのってわりと好きですね。」 「何かを密かにたくらむのが好きなんですね。」 「そうそう。だから今の会社でもそんなことできれば楽しいですよね。」 「会社でやると楽しいのですか・・・もしやれたら、今日なんかどんな気持 ちになれるでしょうね?」 「それこそ、スカッとできるんじゃないですかね・・・うん、すかっとする よな、きっと。」 「じゃあ、会社でなにかたくらむとしたら、どんなことですか?」 「そうね・・・たくらむか・・・たくらむってほどじゃないかもしれないけ ど、定例会議で何か仕掛けたいですね。」 「ほぉ、定例会議で、ですか。例えばどんなことを思いつきますか?」 「そうですねぇ・・・」 ここからは思いつくまま口に出してみた。 羽賀コーチの魔力、とでも言おうか。どんどんと発想が展開してきて、気 がつくと胸がわくわくしているのに気付いた。 「・・・と、このくらいですかね。以外にたくさん出るもんですね。」 「そしたら、今まで挙げた中で『これならできるかも』っていうの、ないで すか?」 「う〜ん、突拍子もないのもありましたけど、これならってのが一つ思い当 たりましたよ。」 「ぜひ聞かせて下さい。どんなことです?」 「私がちょっと得意だって言った、お客様との交渉術があったでしょ。あれ を応用してですね・・・」 今日の定例会議に向けて、羽賀コーチと立てたたくらみが現実味をおびて きた。 いや、羽賀コーチと立てたたくらみ、というのは少し違う。羽賀コーチは 私の言葉に対して「もっと聞かせて下さい」とか「詳しく言うとどうなるん ですか?」なんて質問を浴びせただけ。 計画はすべて私の言葉から出たものなのだ。 気がつくと、セッション時間の30分間を少し過ぎてしまった。これがコ ーチングなのか・・・。 一回目にしてその魔力にとりつかれた、そんな感想だった。 「・・・よし、いくか!」 羽賀コーチとのコーチングセッションが終わり、電話を切ったときに私は そう叫んでいた。心の奥底から力が湧いて出る。いつ以来だろう、こんな月 曜日を迎えるのは。 そうして今、この定例会議の場にいるわけだ。 谷口総務部長の「どうぞ」という目の合図を受けて、私はおもむろに口を 開き始めた。 「では私から提案を述べさせて頂きます。 前回までのプロジェクトの打ち合わせで、全体のとりまとめを営業部で実施 することに決定しています。その業務の大半がおそらく私の営業一課を中心 として実施することになるのは明らかです。 今まではこの『売り上げ倍増プロジェクト』の打ち合わせでは、慣例的に谷 口総務部長が取り仕切りをやっていましたが、この先このスタイルを続ける と毎回谷口部長と私の間で事前の打ち合わせが必要となってきます。 そうなるとどうしても時間のロスも発生しますし、打ち合わせ後の議事録ま とめなども面倒になると私は思っています。」 ここで一拍おいて、参加者の反応を見てみる。 谷口総務部長は「そうだな・・・」といった感じ。 営業部の三宅部長は、最初はハラハラしていたようだが、今は真剣に私の 方を向いて耳を傾けている。その他の役員、部課長も次にどんな言葉が出る のかを待っているようだ。 唯一例外が営業二課の菊池課長。 「また若造が何かたくらんでるな。」 といった顔で、手元にある資料を通して私の顔を見ているのがわかる。 ま、これも予想されていたことではあるが・・・。 ま、今のところは自分のペースに巻き込めたかな、といったところ。今か らがホントのたくらみになる。 よっし、次にいくか。 「ここで今述べたことをふまえて、二つほど提案させていただきます。 まず一つは、このプロジェクトに関する会議・打ち合わせを私に任せて頂け ないでしょうか。 そうすることで、事前資料のまとめから会議までスムーズに流れますし、谷 口部長にもお時間を取らせることもなくなるでしょう。」 このとき、谷口部長が大きくうなずいているのが目に入った。 よし、こちらのペースだ。 「また、他部門と連携をとる際も、私の方でやらせていただきます。そうす ることで、皆さんのお手を煩わせることも少なくなると私は思います。 まずはこれについてのご意見を皆様にお聞きしたいのですが。」 「有川くん、そんな面倒なことを引き受けて、君の通常の業務は大丈夫なの かね?」 こう口を開いたのは営業部門役員の矢田専務だった。 会社を挙げてのプロジェクトとはいえ、通常業務を放り出してこれに専念 できるような体制が取られていないことを懸念しての発言だろう。 確かに、普通に考えるとただでさえ忙しい通常業務に加えて、特別プロジ ェクトの仕事がふってくる状況では、誰もがそんなことを敬遠するだろう。 が、ここからが本題なのだ。 そう、今からの発言する二番目の提案こそが、今朝のコーチングセッショ ンでひらめいた真の「たくらみ」なのだ。 「矢田専務、おっしゃるとおりです。 このままでは私を始め営業一課の業務に負担がかかるだけです。 そこで二つ目の提案です。」 ここでまた一呼吸おく。 重要なことを発言するときには、焦らずに一呼吸置き、聞く方に期待感を 持たせる。これは私が営業で学んだテクニックの一つだ。こうすることで、 相手は確実にこちらに身を乗り出して、耳を開いてくれる。 「今回の『売り上げ倍増プロジェクト』は、我が矢木沢産業にとっては将来 を左右するものであると私は考えています。 そうなると、このプロジェクトの推進を営業部が行うとはいえ、全社を挙げ ての取り組みにする必要がある、そう思っています。 そこで、全社より意欲のあるものを集めたプロジェクトチームを編成するこ とを提案致します。 そしてこの私、有川がそのプロジェクトリーダーとなり推進していきたいと 考えています。」 ここで使った「私は思っています」って言い方、これは今朝、羽賀コーチ からアドバイスをもらったものだ。 I(アイ)メッセージというらしいのだが、「私」を主語にしていうこと で、相手の心に響くらしい。 「あなた」を主語にしてしまうと、相手を決めつけたような言い方になる ので反発も生むだろう。これを「私」を主語にすることで、「あ、この人は こう思っているんだ」という風に感じてくれるらしい。 なるほどな。プロのコーチがいうんだから間違いないだろう。今回とりあ えず使ってみることにした。 それが効いたのかはわからないが、私が考えてた『たくらみ』、まだジャ ブを一発かましたに過ぎないのだが、この発言で場がにわかに動き出したこ とを実感できた。 「プロジェクトチームの編成・・・そうだな・・・」 そうつぶやいたのは管理部の竹下常務であった。 「過去にもプロジェクトチームを編成しての業務推進を何度も行ったが、こ れといった成果が見えてこなかったと記憶している。 確かに有川くんの言うように、これは全社をあげて取り組むべき問題である ことは私も認識している。 今回もプロジェクトチームを組んだからといって、うまくいくとも思えない のだが・・・」 思った通り、そうきたか。 この言葉は、実はある程度予測できていた。 竹下常務が役員になりたての頃、とある大手メーカーへの進出プロジェク トで先導を切ってかなりエネルギッシュに動いていたことがあった。 社内に大がかりなプロジェクトチームを組んで、商品開発もプレゼンも順 調に進めてきた。 が、残念ながら契約寸前でトラブル発生。そうそうたるメンバーで望んだ 結果がこれであった。一部ではプロジェクトチームの編成と、推進の方向性 をめぐってのトラブルが、この事態を招いたとも噂されている。そのため、 プロジェクトリーダーであった当時の竹下常務への風当たりはかなり強かっ たと記憶している。 おかげで矢木沢産業では、それ以降何か一大事業を行うにしても、プロジ ェクトチームを組むことなく「他部門との連携を取って」というのが社内の 風潮となってしまった。 今回はあえてそこを切り崩す、我が社としては思い切った提案を私が行っ たのだ。 ここで今までの私だったら 「ですが、今回のプロジェクトは・・・」 と言って、猛烈に自分の意見を推し進めていただろう。 が、今回は違う。 私が切り出した言葉はこうであった。 「そうですね。竹下常務を始め、皆さんがプロジェクトチームを組むことに 対して困惑されているのは私も良くわかります。 ここで一つ質問をしていいでしょうか? 皆さんが懸念している『プロジェクトチームを組む』ということについて の問題点というのは何でしょうか?」 これもシナリオ通り。 今朝のコーチングセッションで教えてもらったコツを使ったものだ。 私が一通り自分の考えを羽賀コーチに伝えたときに、こう切り返された。 「有川さん、そのアイデアは誰に押し通そうとしていますか?」 「うっ・・・。」 私はこのときに言葉に詰まってしまった。 プロジェクトチームを組むことが、今の我が社ではタブーになっていると 言う現実に対して、自分の考えを押し通すことができるのか。そして何よ り、私が自分の考えを押し通そうとしていることを見抜かれていたこと。 そう、ゴリ押しをしてでも事をなそうとしていた自分に、あらためて気付 かされたのだ。 それをわかっていたのか、羽賀コーチは優しい口調でこう質問してきた。 「おそらく有川さんの提案に対して、何かしらの反対意見が出ることが予想 されますね。 有川さんが反対意見を言う方だったら、どう言ってくれれば出された提案 に納得しますか?」 「そうだね・・・。 提案をゴリ押しされても、その意見に対してはよけいに反発するだろうね。 こちらの言い分もしっかりと聞いてくれた上で、それに対して納得できるよ うな提案をさらにしてくれるといいかも。」 「反対意見を言う側の言い分をしっかりと聞けばいいんですね。」 「そうだね。そして何が問題なのかをしっかりと把握できれば、それに対し ての解決策も出やすいだろうね。」 「じゃあ、今日の定例会議でそれをやってみませんか?」 「え、やってみるって、どうやって?」 「じゃあ、今日は時間もないので、私から一つアドバイスをしてもいいです か?」 「是非お願いします!」 「まず、相手の発言に対してはすべて『認めて』ください。『そうですね』 とか『私もその気持ち、良くわかります』といったように、相手に共感する 表現を使うといいでしょうね。 その上で、逆接の接続詞『でも』とか『しかし』は使わずに、何が問題なの かを探る質問をすると効果的でしょう。」 なるほど、相手の発言をすべて認める、か。 どうやら今日の定例会議はこのあたりがキーポイントのようだ。 おかげで今朝の通勤の時は、この部分のせりふ回しのシミュレーションで 頭がいっぱいになっていた。 定例会議はいつもとは違う雰囲気につつまれていた。 その雰囲気を作り出したのは、誰あろうこの私、営業一課課長の有川であ ることは明白であった。 しかし、この雰囲気を作り出している主がもう一人いることを、私は見逃 さなかった。そう、その主とは・・・ 「再度皆さんにお聞きします。プロジェクトチームを組むということについ ての問題点は何でしょうか?」 このとき、私の目線はそのもう一人の主に注がれていた。 そして、その主がいよいよ動き出した。 「そうだな、有川君の言うとおり、我々は少し臆病になっていたのかもしれ んな。我が社ももう一度、冒険の度に出てみるのもいいか。 どうだ、みんな。」 その声は重みがあり、そのまなざしは光るものがあり、なによりも存在そ のものが他の誰よりも異なっていた。そう、矢木沢産業社長、矢木沢光夫氏 が長い沈黙を破って出てきたのだ。 今の矢木沢産業社長は二代目で、先代がこの会社を興している。田舎の一 部品屋が大手電機部品メーカーとしての地位を確立できたのは、今の社長の 功績なのは間違いない。 そのカリスマ的な経営方法は私も十分評価している。が、このところの会 社の方向性は、社長の思惑とは違った方向に向いていると感じていた。実は 社長は数年前より体調を崩し、実質の経営は現在の首脳陣に任されている状 態であった。 一部では「ワンマン社長」と陰口をたたかれつつも、これまでの功績を考 えれば十分評価できるものがある。が、いかんせん後継者育成を十分に行っ ていなかったことが、今になって響いていると言わざるを得ない。 その社長も今回のプロジェクトを聞きつけて、体にムチをうちながらも定 例会議には参加しているという状況である。 今回、私の提案ターゲットも実はこの社長に向けられていたところが大き いのである。 「よし、わかった。この件は役員会議で討議した上で有川君に報告しよう。 それでいいかね?」 「はい、喜んで。ありがとうございます。」 私のたくらみの第一段階は成功したといっていいだろう。 ふぅ、さすがに緊張したな。 ★ 営業一課のフロアに帰る途中、三宅部長があわてて駆け寄ってきた。 「おい、有川君。あんな大事なことはまず最初に部長である私に相談してく れなきゃ困るよ。業務分担の問題もあるし、ましてやプロジェクトチームと なると各部署との連携も必要だろう。私の立場というのも考えてくれよ。」 「部長、大変申し訳ありませんでした。実はこの案は部長に相談する時間が なかったんですよ。」 「時間がなかったって、どういうことなんだ?」 「本日定例会で発言した内容、あれの最終案を決定したのが定例会議の直前 だったもので。どうしてもあの意見を言わないと、という思いでいっぱいだっ たものですから。」 「おい、それならなおさら事前に私に相談するのが筋というものだろう!」 やばい、三宅部長の顔つきが変わってきている。このままいくと、お小言 のフルコースが待ち受けている。さっきの発言はやばかったかな。確かに部 長の立場を考えずに突っ走ってしまったからな。 「とりあえずだ、今後このプロジェクトに関する件はすべて私を通すように してくれ。これは命令だ!勝手なことはするんじゃない!」 ちっ、このままだとたくらみの第二段階に移行するのは難しくなるかもし れないな。あとは役員会でどのような採決が出されるかだ。それ次第では、 私の行く末もちょっと危ういかも。 「だいたい、有川君は勝手に突っ走ることが多いんだよ・・・」 こう始まって約30分、あとちょっとで営業フロアに到着するという廊下 で長々と三宅部長の『ありがたい』お小言が続いたのであった。 「課長、大丈夫ですか?」 そう声をかけてくれたのは、お茶を入れたらこの会社では右に出るものは いないと誰もが感じている、我が課の宮永女史である。彼女にはホントい つも癒されるんだよなぁ。 入れてくれたお茶をすすり、大きくのびをして気合いを入れ直す。 「宮永さん、ありがとう。 よっしゃ!頑張っていくか。ここまできたらなるようになれ、だ。」 「はは、なんか課長、今日はいつもと違いますね。」 そう言ってほほえみながら自分のデスクに戻っていく宮永さん。あの一言 が営業一課を明るくしてくれるんだよな。ほんと、助かるよ。 さて、とにかく次は明日開かれる役員会で、今回の私の発言がどれだけ認 められるかだ。 でも勝算はあるんだよな。なぜならあの社長が動いたんだから。 一呼吸置いてから、先ほど起こった一連の出来事をメールに打つ。 そして送信。その書き出しはこうなっていた『羽賀コーチ様』。 羽賀コーチからメールの返事が来たのは、夕方の6時であった。 「有川様 コーチ羽賀です。 今日の『たくらみ』うまくいったようですね。 一日目でここまでやるとは、私も脱帽ですよ。 ところで、今感じている課題って何でしょうね? よかったらメールで返事を下さい。 毎週のコーチングセッション以外でも、何かあったら遠慮なくメールして 下さい。 それでは来週有川さんの元気な声を聞けることをお待ちしています。」 なんだかホッとした。 今日の『たくらみ』、多少は自信があったとはいえさすがに三宅部長言 葉は効いていた。そう考えると、今の課題は『いかに三宅部長を味方につけ るか』だろう。 次回のコーチングセッションはこれをテーマにやってもらおうかな。 とにかく、明日の役員会議でどのような決議が成されるのか、こればかり は待つしかないだろう。 「よぉ、今日は大活躍だったようだな。」 帰り道駅へ向かう途中、そう声をかけてきたのは同僚の森田であった。彼 は技術部の主任で、この軽い体育会系のノリが特徴。そのおかげで部下から は信頼を受けているようである。 「おい、森田。その話どこで聞いたんだよ? あ、そうか。おまえんとこの課長だろ。たしか今日の定例会議には出ていた もんな。」 「確かに課長からも聞いたけど、今や社内はおまえの話でもちきりだぞ。 何しろ矢木沢産業の暗黙の了解である『プロジェクトチームはつくらない』 っていうのに、真っ向から意見した男だからな。 どうだ、今日はその勇気に乾杯といこうじゃないか。」 はは〜ん、どうやら私をダシに一杯やりたいんだな。 とはいえ、コーチを雇った身ではこの一杯がちょっと重く感じてしまう。 それに今日はまだ乾杯という気持ちにもなれないし。 ここで一つ思いついた。 「森田、実はな、このプロジェクトの成功までは『禁酒』することにしたん だ。」 「おいおい、有川。それ本気かよ? そりゃ有川は酒豪とまではいかないけれど、酒好きじゃなかったっけ?その おまえが『禁酒』とはな。 はは〜ん、それって『願掛け』のつもりか?やめとけよ。」 「ま、確かに『願掛け』もあるけどな。 それ以上に『うまい酒』を飲みたいんだよ。このプロジェクトを成功させた 時の酒、これは格別だろう。それを味わいたいからな。そのためにはちょい とガマンってヤツをやってみようかと、ね。」 「有川がそういうんだったらしかたねーな。おまえのそういった強情なとこ ろは入社からずぅ〜っとかわんねーな。」 あ〜あ、宣言しちまったよ。半分勢いとはいえ『禁酒』を自分から言い出 すとはね。 とはいえ、そういった気持ちがこのプロジェクトを成功させるための原動 力になるのは間違いないだろう。 家に帰ってからこのことを羽賀コーチに早速メールした。 よし、これで逃げられないぞ! あけて翌日、私にとっては重要な日が来てしまった。下手をすると、今後 の仕事にも響きかねない審判が下されるのだ。 午前中に役員会が開かれ、午後には何らかの連絡が来るだろう。 おかげで午前中は仕事が手につかない状態だった。 「はい、営業一課です。はい・・はい・・・わかりました。お伝えしておき ます。」 午後の業務が始まってすぐ、宮永さんが電話をとり、私のところへやって きた。 「有川課長、すぐに役員室に来てくださいとのことです。 いよいよですね。」 「あぁ、どんな審判が下るのか、楽しみでもあり不安でもあり・・・。 ま、とにかく行ってくるよ。」 役員室の扉の前について、大きな深呼吸、そしてノック。 「失礼します。営業一課の有川です。」 「あぁ、どうぞ。入ってくれ。」 役員室の中で待っていたのは、営業担当の矢田専務、営業部の三宅部長、 総務部の谷口部長、そしてその面々の奥に座っていたのが矢木沢社長。私か ら見れば蒼々たる面々である。 「昨日の有川くんの提案に対して、今日の役員会で討議した結果を君に報告 しよう。」 そう口火を切ったのは、誰あろう矢木沢社長であった。 社長直々の言葉。一体どんな事を聞かされるのか・・・? 「昨日の有川くんの提案に対して、今日の役員会で討議した結果を君に報告 しよう。」 そう口火を切ったのは、誰あろう矢木沢社長であった。 「昨日の有川くんの発言に、私は非常に勇気づけられたよ。 この矢木沢産業に、会社のことを考えて提言してくれる人間がいるっていう ことがわかったんだからな。 まずはそのことについてお礼を言わせてもらうよ。 ありがとう。」 いきなりの矢木沢社長の言葉に、私は恐縮してしまった。 「あ、いえ・・・」 さすがカリスマ的存在の矢木沢社長。 私は二の句を続けることができなかった。 さらに矢木沢社長の話は続く。 「有川くんの提案、今回のプロジェクトについて新たにプロジェクトチーム を作り、それを君に任せると言う件、これは今日の役員会議でしっかりと議 論させてもらったよ。 まずはその結果を報告しよう。」 ごくり。 思わず生唾をのんで、その次の言葉を緊張しながら待っている私がいた。 「有川君の言うとおりにしよう。 提案通り、今回のプロジェクトについてはプロジェクトチームを発足させ、 君をそのプロジェクトリーダーとして任命する。」 おそらく、この言葉が直接ではなく電話で、しかもまわりに誰もいない状態 であれば、小躍りしている私を見ることができたかもしれない。 が、残念ながら目の前には矢木沢社長、横を見ると営業担当の矢田専務、営 業部の三宅部長、総務部の谷口部長、蒼々たるメンバーである。 とても小躍りできる状態じゃないな。 「ただし、条件がある。」 矢木沢社長のその言葉で、頭の中で小躍りしていた私が、シャキッとした姿 勢に切り替わった。 「この条件をのんでくれるのであれば、有川くんの言うとおりにしよう。」 「・・・で、その条件とは何でしょうか?」 「まずこのプロジェクト、チーム編成は有川くんに任せる。 全社から君が有能だと思える人間を引っ張ってきてもよい。 ただし、専任メンバーは置かない。 通常業務をおこないつつ、この売り上げ向上プロジェクトのための業務を行っ てもらう。 これが一つ目の条件だ。」 「わかりました。」 そう返事をするしかなかったのは事実である。 「そして二つ目、プロジェクトメンバーだが、最初は5人でやってくれ」 「え・・・5人ですか?」 思わずそう叫んでしまった。 とてもじゃない、私の頭の中では専任メンバーが数名いて、必要なときに招 集できる非常勤のサブメンバーがいたはずなのに・・・。 とはいっても、これは大いなる一歩だ。 非常勤で5人。 早速メンバー編成にかからないとな。 なにはともあれ、私の『たくらみ』がスタートできたのは事実。 これからどのように動くかは皆目検討がつかない。 そうか、わかったよ。 何故兼任メンバーで5人しか選べないのか。 おそらく昔からの役員の一部が反対したんだろうな。 その連中を納得させるための条件だったんだろう。 しかも、このプロジェクトがこけても、責任はプロジェクトチームにある。 そうなると、責任を取らなければならないのは会社ではなくプロジェクトチ ームではなのか? トカゲのしっぽ切り・・・か。 ま、それもいいだろう。 とにかく、これが『始まり』なんだ。 役員室をあとに、営業フロアまで帰る廊下で、そう自分に言い聞かせるので あった。 さて、次回のコーチングセッション、羽賀コーチに話すことが山ほどあるだ ろうな。 |
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